2007年06月05日

勿忘草

ベッドから這い出る。
頭がガンガン鳴り、ああ、二日酔いだろうかとひとりごちてトイレに立った。

盛大な音を立てて跳ね上がる温水を眺めながら、いつものように今日の予定を思い浮かべる。

 出社する。

 パソコンの電源をつけ、今日の朝礼で誰が小咄をするかを考える。

 立ち上がったパソコンのメールをチェックする。

 朝礼。

 グループミーティング。

 得意先周り。

 帰ってきて午後の会議の資料のチェック。

     と昼食。


そこまで思い出して俺は首をひねる。

    って誰だ。

確かに、俺の普段の生活の中で、    との昼食は手帳を見なくても思い出せるほどの習慣だったはずだ。

    って誰だ。

ずきり、と頭が痛んだ。

そんなことより別のことを思い出そう。

すっきり滴まで出来ると、レバーをまわす。
手を洗い、いつも通りの朝食を頬張る。
トーストにたっぷりのピーナッツバター。
トマトの入ったサラダ。
熱いコーヒー。

昔はこんなに健康的な食事をしてはいなかった。

    が口煩く『まともな食事を取れ』と言っていたからだ。

…。

    って、誰だ。

ふいに携帯がけたたましく鳴った。
目覚ましアラームだった。

『家を出る5分前』

慌ててネクタイを締める。
淹れたコーヒーを専用のタンブラーに移し、カバンに放り込む。
カバンの中で倒しかけた。
そういえば一度倒したことがある。
散々    にからかわれたっけ。

    。
    。
  
部屋を出るまでに、俺は何度も    のことを思い出す。
誰だかわからないのに。
何度も思い出した。


いつも通りの作業を終える。

    といつも行く定食屋へ行こう。

そう思って立ち上がる。
右足が、ぐっと踏みとどまる。

行くな。

そう言われている気がした。

新入社員の女の子が、『一緒にいかがですか?』と誘ってくれる。
見ると、可愛い所が集まっていた。

顎を撫で回しながら、『イイネェ。』とにやけてみせる。
クスクスと笑いあう女の子たちと、一緒に部屋を出た。

    スマン。
たまには許せ。

そう心の中で思いながら、女子社員たちの輪の中に入っていった。


家に帰り着いた。
久しぶりに    と飲もうか、何て言葉も浮かんだが、    が誰かわからずに、結局誘うことも出来なかった。

ポストからはみ出た郵便物を、適当にカバンに放り込み、鍵を開ける。

一人暮らしにしてはいい身分の家だ。

    も、ここに良く泊まりに来ていた。

もう、    を思い出すのも億劫で、俺はソファにへたり込む。

いつものようにコーヒーを淹れる。
携帯が、鳴った。
風の迷路。
不特定の人間に設定した曲ではない。

誰にしただろう。

液晶を見る。

そして俺は思い出した。

    が誰だったのかを。
俺はボタンを押した。

「もしもし。」

『おう、俺だよ。久しぶり。』

「お前か。」

『もうちっと嬉しそうにしろよ!!
 俺様からの久しぶりの電話だぜ!?』

笑い声。
思わず俺はにやける。
いつも通りのあいつだ。

なぜ、あいつを思い出せなかったのだろう。
こんなに大好きだったのに。

「馬鹿だな、いい加減。」

『何だよ、最近会わねぇじゃねえか。
 忙しいのか?』

「まぁまぁだな。
 お前は?」

『楽しくやってるよ。』

本当に、幸せそうな返事が返ってくる。

『葉書見てくれたか?』

俺はカバンに突っ込んだ束をつかみ出す。

「ああ、今見てると」

今見てるところだ、と言いかけて、俺はかたまった。

bs06b.jpg

赤ん坊の写真。

『どした?
 可愛いだろう。
 見ればわかると思うけど、女の子なんだ。
 これがもう可愛くてな…』

生まれたばかりの子どもに関して、デレデレと親ばかぶりを発揮するあいつの言葉を半ば聞き流しながら、俺は葉書に目を奪われたまま凍りついていた。

『それで嫁さんもお前に会いたいって言ってるんだ。
 俺の学生時代の親友に会いたいって。
 どうだ?時間取れないか?
 もう5年も会ってないから、俺だってお前に』

「悪い。
 忙しいんだ。
 今、また新しいプロジェクトがあってな。」

会いたいという言葉を聞かぬ間に、自分でも驚くほど淡々と伝えた。

「だから、当分無理だ。
 悪いな。」

『…いや、気にしてないけど』

どうした?と親友は俺に言った。

「何でもない。
 悪いな、疲れてるんで、これぐらいで切るぞ。」

『あ、ああ。
 悪かったな。じゃぁ。』


俺は動揺していた。

    があいつだったことがわかった。
どうしてあいつだとわからなかったのか、それが不思議だった。
それを思い出した。

俺は、あいつが、好きだったのだ。

葉書を見る。
『結婚5年目にして、やっと待望の赤ん坊が生まれたぜ
 お前の嫁にはしてやらん。
 が、会うくらいは許してやる。』

あいつらしい、汚ねえ字でそう書かれている。

俺は、頬から垂れる涙を抑えられなかった。

5年前。
そうだ。

あいつが結婚して、5年。
もう、5年なんだ。

あいつが、好きだった。
その気持ちをひた隠しにして。
あいつの親友という位置を、楽しんで。

5年前、あいつが『結婚するんだ。』と言った時。

そうだ。

今は何年なんだ?
何月、何日だ?

カレンダーを見る。
携帯で確認する。

俺の思っていた日と違う。

俺の時間は、5年前に止まったままだったのか。

床に膝をついた。
額をマットにうずめる。
自分の嗚咽が耳に痛い。

好きだった。
こんなに好きだった。

言えないから、ずっと黙っていたんだ。

そして。
結婚したあいつを、一生分の笑顔で祝福して。

そうだ。
それから。
それから俺は、あいつの記憶がない。

テレビで観た事がある。

本当につらいことがおきたとき、人間はそれを忘れられる。
忘れることができる。

なんてこった。

俺は今まで、    を思い出すたびにこうしてマットに顔をうずめていたのか?

そして泣いて、泣きはらした目で眠っていたのか?

そして目が覚めたら、また  を忘れていたのか?






























そして、これからもそうやって生きていくのか?































それでも俺は、生きることを選ぶのか?

ただ、俺を親友としか思わぬ愛しい人を、悲しませまいとするために。
posted by み〜ほ at 14:05| 兵庫 ☁| Comment(0) | 創作 | 更新情報をチェックする
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